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Home > ブログ > カテゴリ > MとJへ、おとうちゃんはこう考えた

★私たちが死ぬときのプロセスを、ビジュアル・イメージとして考えてみる。

どんなひとでも、必ず、死ぬ。この世から去っていく瞬間はどんなものだろうと想像する。それはたぶん、「地球の重力、三次元の重力から去っていくプロセス」なんじゃないかと思うんです。ビジュアル的には(そのときにビジュアルがあるのか、イメージがまだ働くのか知らないが)、「鳥」のイメージだ。

でもこの鳥は、空気が薄くなって、宇宙に行っても飛び続けられる鳥で、カメラが地表から宇宙に向かって、どんどんどんどん引いていく感じのイメージ。まずは、自分の家や故郷の家のまわりの自然の風景、たとえば森とか木々や花々などの間を鳥のように舞っていく。ある種の情感をもって。ああ、ここにおばあちゃんと来たなー、みたいな。ここらへんは、どっちつかずで、なかなかいい。

そして上昇するに従って、だんだん自分が住んでいた街の全体像が見えてくる。そうなるとそれと同時に、いままでかかずらわってきたさまざまな出来事、人々とのしがらみが徐々に希薄になってくる。ここで、ちょっぴり悲しいか、きれいにサバサバするかは、そのひとによるだろう。さらに上昇して、地表が地形にしか見えない状態になると、さらにこの次元との関わりが希薄になっていく。

もっと上昇すると、そこはもう宇宙のはじまりのような空間に。意識はもはや地球意識を経過して、銀河の意識、さらに遠くの宇宙意識に近づいていく・・・。というのが、私がいまのところ感じているイメージなんだけれど・・・。

次元の壁をどこかで、その鳥が破って進み続けるのかもしれませんが、そのイメージは、2001年宇宙の旅の次元の通過イメージみたいなものかなあ。上下に色が飛び去って行って、どんどん突き進むイメージ。あるいは宇宙船がワープするときに、グワァーンと管のなかに入っていくようなイメージ?

そこらへんまではイメージがあるんだけれど、その先がよく分からない。その先に、自分がおばあちゃん子だったとして、その懐かしいおばあちゃんなんかが出てくるんだろうか? でも、それってすっごく3次元じゃない?とも思うが、おばあちゃんの魂なら、4次元で出会っても不思議じゃないんだろうか?

それとも、そういう3次元的なイメージはもうなくて、もっと静謐な、コンセプチャルな世界がひろがっているのだろうか? それとも・・・

まだ完全に向こうに行ってから、完全に帰って来たひとはいないわけで(中途半端なのは、あります)、これはヒトにとって永遠の謎。まあ、謎解きの旅に私たちは出るわけですな。おー、そうかあ、こうなってたんだあー、と分かったときは既に死んでますけど・・・。

でも、こういうのを想像しているのは、結構、楽しいです。

死ぬときに、最後の最後で、ドタバタ騒ぐのもいいと思う。

「うわー、やめてやめて、行きたくないってばあ!!」みたいなの、いいと思う。人間ぽくて、好き・・・・。

★鳩山さんが間違っているとは、思わない。

最近のニュースにこういうのがあった。元首相の鳩山さんは"止めるのも聞かずに"イランに出かけて行って、アフマデネジャド大統領と核開発問題について話してきた。帰って来たら、彼らから「鳩山さんは、核をたくさん持ってる国が、君たちは核開発をやめなさいねと言うのはおかしい」とイラン側に理解を示したと発表されてしまう。ほーら言わないこっちゃない、という記事だった。

しかし、この記事はちょっとおかしくないか。鳩山さんは、日本がイランから原油を輸入している国であって、イスラエルと戦争になってホルムズ海峡が閉鎖でもされたら、日本の国益に反するという視点のもとに、イランに挑発に乗るなよ、と言いに行った(たぶん)。

アフマデネジャド大統領とラポールをつなげるために、「あんたの言うことも分かるよ。だってイスラエルだって核弾頭を100〜200くらい持ってるし、アメリカに至っては地球を何度も破壊できる量の核を保有しているのは周知の事実。彼らがいつでも撃てる核をもっているのに、他の国は絶対持つな、というのは、どうしたもんだろうね」くらいのことを言ったかもしれない。

鳩山さんは、奥さまもスピ入ってますし(知的な進歩派としてのスピ。ポジティブな意味で使ってます)、たぶん、鳩山さんご自身もまったくその影響を受けていないと考えるのは不自然。日本の国益と融和の意図のために行ったであろうことを、そして、もうすでにたーくさん核をもっている国が、これ以上、他の国は持っちゃダメ、というのは矛盾している。

それだったら、「私たちも、この使えない核はスケジュールに則って廃棄するので、君たちも開発するのはやめましょう」という考えだったら、分からないでもない。

報道は常に裏側を想像しながら聞くものであって、イスラエルとイランの対立は、かつての東西冷戦や、一次二次大戦などのように、意図的に対立構造を作り出し、そこで戦争経済をまわそうとする勢力の構造を想像させる。ベンジャミン(フルフォード)によると、アフマデネジャド大統領は米CIAのエージェントであると。にわかには信じがたいが、極まればありえるのかもと思わせるところもある。

自分たちが、この実際にはほとんど使えない兵器、核をこんなにいっぱい持っちゃって、どうやってこれを廃棄していこうか、と内心考えている米国等が、北朝鮮やイランは、「間違って使っちゃいそうだから、持っちゃダメ」というのは、理が通らない(まあ、どんどん持てとも思わないが)。

報道の真の怖さは、なんどもなんども"大手"メディアとして、北朝鮮とイランの核許すまじ、と言われ続けると、なんか彼らが一方的な悪者として印象づけられてしまう、ということにある。NLP的に言うと、頭のなかの、一定の空間、そこは「ネガティブなもの・嫌いなもの置き場」なのだが、に格納されてしまう。

2分間しか飛ばなかったようだが、北朝鮮ロケット発射の今日。
「インテグリティのある意図」をもって、世界を抱きまいらせる時代が、もうすぐそこまで来ている、と信じたい。

★中3のプレゼンテーション、おそるべし。

娘の通っている中学で、卒業間近の3年生が保護者や他クラスの皆に、自分の興味のある分野を徹底的に調べて、プレゼンテーションをする「卒論プレゼン」というのがあって、行ってきた。

中学3年生は、結構多感で、実にいろいろな分野にそれぞれの興味をもっている。そこで発表されたテーマは例えば、「ひとはなぜ夢をみるのか」、「四次元について」、「幸せとはなにか」などなど。実に深く調べていて驚いた。

ひとが夢を見るメカニズムも、はんぱじゃない調べ方。眼球の動きは、単なるレム、ノンレムの区別だけでなく、人間の脳の視覚野に直接影響を与えているようで、その刺激で、記憶の中から選ばれた断片が映像となって見えてくるらしい。ひとが覚えている夢は、起きる直前のものだけとか、カラーの夢をみるのは女性が多いとか、歳をとるにしたがって夢がモノクロ化する、など、へえーと観客は驚きっぱなし。

「4次元」の話は、非常に難解で、3次元から見たら4次元がどう見えるかなど、数学的・哲学的概念をなんとかわかりやすく説明しようとしている。おとなよりすごいな。「幸せの研究」もかなり面白かった。涙ぐんでる親もいた。質疑応答にもしっかり答えるし。

おそるべし、中3の底力。ちなみに私の娘の研究テーマは、「ふたごは世界を救えるか」。一卵性のふたごは遺伝子がまったく同じ人間が、同時に生まれてくる。そのふたりがその後、どう同じになるか、違ってくるか、は興味深い。身長は90%くらいは遺伝(ふたりの身長はほぼ似ていくる)。「寿命」は25%くらいしか遺伝ではなく、より後天的に変わってくるようです。このような遺伝子がまったく同じふたりを、人工的につくることはまだできないので、医療分野などで世界を救える可能性がある。東大でも実はふたごを意図的に入学してもらって、中学、高校と追いかけて調べているくらいです。

★アニメ映画「サマー・ウォーズ」の詩情に泣く。

息子の学校の学園祭に娘と一緒に行く。学生バンドを観る。高校3年のバンドがめちゃうまい。すばらしいリズム感の高校生のギタリストに完全に負けた。やはりギターはリズム感とバンドの場数。

家に帰って、娘が、これ面白いと借りてきた映画を観る。細田守監督の2009年のアニメ映画「サマー・ウォーズ」。自分からアニメ映画を観ることはほとんどないので、最初はばかにしていたが、シーンと展開があまりに詩情にあふれるので、思わず引き込まれる。

ちゃんと観ていなかったので、子どもたちがかみさんと近所のお祭りに行ってしまったあと、ひとりで最初から観る。日本のアニメ、すごいわ。


映画では何重にも、多彩なイメージが重ねられている。

◆真田幸村と徳川秀忠/家康(強大な敵と戦う弱小)
◆家族に受け入れられていく第三者
◆じいちゃんの妾腹の子、侘助を引き取ってわが子として育てるばあちゃん
◆甲子園に挑戦する上田高校
◆信州上田市とヴァーチャル空間OZ
◆ヴァーチャル・リアリティと田舎のおばあちゃん
◆朝顔
◆いじめられっ子で引きこもり(かずま)の再生物語
◆アメリカ軍産複合体、対、日本人の精神世界

ラストに流れるのは山下達郎。

全編に詩情があふれている。

金魚を28匹もすくった娘が祭りから帰って来た。


夏もそろそろ終わりである。

★映画「コクーン」と「コクーン2」を観る。じいちゃんばあちゃんとエイリアン・・・・

まあ、この設定がいいな。ピカピカのエイリアンとじいちゃんばあちゃんを掛け合わせる、という発想が秀逸。この映画はエイリアンもの、というよりは、ヒューマン・コメディもの、という感じ。

85年の映画、最初の「コクーン」の監督はロン・ハワードで、これはなかなかいい監督です。「ダヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」など、いい映画をたくさん撮ってます。これがヒットしたので、二匹目のドジョウで、2が88年に公開。監督は、ほとんど無名のダニエル・ペトリー。ヒット作もほとんどなしの監督。だいたいどんなヒット作でも、その後の「2」は面白くない、出来がよくない、と相場は決まってるんですが、あにはからんや、コクーン2は、いいんですよこれ。けっこう、グッとくる。ほぼ第一作と同じ役者ですから、役者連中がよかったのかな。シナリオもいいです。なんかすると1よりいいかな。1はラストがちょっと唐突。

フロリダの老人施設のじいちゃん、ばあちゃんがピカピカのエイリアンたちと遭遇する話で、エイリアンには特殊な能力があって、「病気が治っちゃう」「死なない」わけです。なので、エイリアンに、(自分たちの惑星に)来いよー、と誘われたじいちゃん、ばあちゃんたちが、それを受け入れたり、断ったり、一度受け入れたんだけど地球に戻って暮らす決断をしたりする。

向こうに行っちゃうじいちゃんばあちゃんは、まあ、単に死なないからなんですが、自分に自信のない孫の少年(かわいいんだ、これが)の成長を一歩離れて観ているじいちゃん、ばあちゃんが、(その子のために)地球に戻ってそのまま地球に残る決断をするシーン。



「私は、こどもたちより先に死にたいんだ」



と言うんです。だから地球に残るんだ、と。

ガッデム!! オー、なーんちゅう美しい言葉だ。うるむ目頭。だってさー、じいちゃんばあちゃんが先に死んで、後からこの美しい少年が死ぬべきだろう。それが自然な人生というもんだ、と。

録画して深夜に観てたんですが(2本続けて観たので深夜になった)、このシーンを観ているときに、あろうことか娘がまだ起きていて(ダメじゃん、こんな時間まで・・・)、いきなり居間のドアを開けて入ってきた。

なにか父親が映画を観ていて、またぞろウルウルしてるぞ、なんか、いま話しかけると、まずい感じ。で、一拍おいてから、「どういう話?」と聞いてきた。

ちょっと冷静になってから、いやー、これはなあ、かくかくしかじか。「ふーん、おれも(女の子です)じいちゃん、ばあちゃんには弱いんだよなー」だと・・・。沖縄に修学旅行で行って、現地のばあちゃんに、戦時中の話を聞いて泣きまくった娘だからなあ、さもありなん。

うるうるしているのを家族に目撃されるのは、けっこうはずかしいです。でも、美しい言葉だったなあ。「自分は、子どもたちより先に死にたいんだ」。宇宙人に会わなくても、覚えておこう、この言葉。

★沖縄の防空壕で大泣きした娘を迎える。

私の頃は、京都が定番だった修学旅行。現在は沖縄に行く学校も多いという。娘が日焼けして帰ってきた。行く前はあまり乗り気でなかったようだが、帰宅するなり、体験が言葉となってせきを切る。

ひめゆり部隊や、さまざまな戦争の展示物のある博物館などをまわっている時点から、彼女の頭のなかでは、今いる場所でかつてなにが起こったかがリアルな映像となって動き始める。そして、藪蚊に刺されながら、沖縄の防空壕に仲間と入っていく。入ったとたんに、匂いや映像が炸裂。あまりの大泣きで過酸素状態になってしまうほど感情が爆発。まわりの友達を驚かせたという。

彼女は、そういう魂なんだ、と感じる。沖縄での過去生があるのかどうかしらないが、ほかのひとの痛みを感じる感性があることは歓迎したい。そして、それを癒してくれる沖縄の優しいおばあたち。ボランティアのおばあたちの民家に泊まるなかで、それらの、ひとの残虐とひとの優しさがないまぜになって、彼女の心に深い印象をもたらしたと思う。やはりわが娘、と思わざるを得ない。君は、その気持ちをいつか使うときがくるだろう。

★卒業式も謝恩会なし。

朝、息子の小学校の卒業式に行く。学校の敷地内で東京都が2リットルの水を赤ちゃんのいる家庭向けに無償で配っている。卒業式というのは、一応、めでたい部類のイベントだと思うが、かの地では卒業式自体がとりおこえない、家族や本人が被災、という今の環境を皆知りながらの式であるので、ちょっと特別な感じがある。

こどもというのは、なにも分かっていないように親は思いがちだが、そんなことはなく、たぶんしっかり感じている。式の前の1分間の黙とうにも卒業生の言葉のなかにもそれらを感じる。

ジムノペティが流れる。この音楽はセミナーの定番バックグラウンド音楽で、それがかかっただけで、なにをやっていても涙目になってしまうひとは多い。音楽は聴いていなくても、しっかりと聞こえていて、それが感情中枢に働きかける。

こうしたときに東京の卒業式、ということに、なにか申し訳なさ、というかそういうものを感じている参加者は多かったように思う。謝恩会も延期になったので、皆送り出されて親と三々五々帰る。

しかし、こども達こそ、私たちの未来であると思う。地域社会や大人や親や先生や給食の栄養士さんたちが、こぞって子どもたちを育てている。やはりこどもの数が減ってくる社会は、あまり幸せな社会ではないのかもしれない。

皆さん、こどもをもっと産みましょう、って、そうはいかないか・・・。大変ですが、子育てほど面白いものは他にはないと言い切れます。

★18日(金) また、これを読んで涙目に・・・。

作家、村上龍は私と大学が同じなこともあって(学校にはあまり来ていなかったようで、会ったことはありません)、彼の主催するメルマガを時折読んでいます。

ニューヨークタイムズに、彼の文章が掲載されました。また、不覚にも涙目に・・・。

彼は横浜あたりにお住まいで、当日、仕事で東京のホテルに入った。部屋に入った瞬間に地震にあったようです。そこから、彼の報告や思考が。私が、まいったのは以下の英文部分。

My parents are in western Japan, in Kyushu, but I don’t plan to flee there. I want to remain here, side by side with my family and friends and all the victims of the disaster. I want to somehow lend them courage, just as they are lending courage to me.

[訳](村上氏は佐世保出身で)私の両親は九州にいます。しかし私はそこに逃げ帰ることはしない。私はここにいて、私の家族、友人たち、そして今回の災害で被害にあわれたすべてのひとと一緒にいることを望む。私は彼らに勇気を与えたい。彼らが私に勇気をくれたように。


影響力のあるひとの行動として、美しいです。こうありたい。

どうも私の(たましいの)なかに、「サクリファイス」というテーマがあるらしく、そういうことに感応しやすいことを感じます。でも、たくましくサヴァイヴするぞ、という気持ちも充分あり、一方向に流れることはありません。自分のなかでそれらはバランスしています。


アメリカ人の反応のなかに、火事場泥棒のような騒乱が起きることがない日本に、おー、すごいねえ、という反応もあるようです。しかし、彼らは片や論理性も非常に高く、それが、日本から米国に入国するひとをガイガーカウンターでチェックする、という論理性も持ち合わせている。しかし、過度な論理性に対する反省(それがある意味、西洋と異なる日本人の行動倫理へのあこがれでもある)もまた、持っている。

私たちのセミナーの先生はアメリカ中心にヨーロッパなどですが、続々とお見舞いが届いています。

パッチも、「君たちを、しっかりハグしたい」というメッセージを送ってきています。パッチはきわめてアナログなひとなんですが、パートナーにメールを書いてもらって送られてきました。


今週末のワークショップは、先生によって、対応がさまざまで、エリクソニアン(催眠)の天才、デイビッド・ケイロフ氏は、今週末開催の予定でしたが、2011年の夏から秋のあたりに延期、再来日になります。しかし、チャネルのECTONのリチャードラビンさんは、今週末からチャネトレを通常通り東京にて開催。論理で動くひと、直観で動くひと、とそれぞれです。



政府の発表、関係機関、東京電力、気象庁、マスメディア各社、そこに出てくる学者たちからの情報は、バイアスがかかってきています。日を追うごとに、そのバイアスがシステムとしてしっかり機能してきたような気がします(皮肉です......)。


しかし、ネットには生な情報があり、それらを取捨選択することで、真実により近づけると考えています。

ある専門家(良心的な)が言っていますが、最近テレビでこの単位に収斂しつつある「マイクロシーベルト/hour」、1時間あたりの放射線量という言葉のトリックというのがあって、線量は先日も書いたように時間に正比例するので、それに時間を掛けないと正確な値は出ません。屋内では減衰します。木造でも減りますが、コンクリならさらに減ります。つまり外に何時間出ているか。その状態が何日続くのかによって、数値は変わります。さらに、胸のレントゲンと比べるのは無意味と。つまりレントゲン照射は瞬間的なので、/hourに換算すると非常に微量であり、時間単位を合わせずに比較することは、とても学者とは思えない意図的な誤謬であると、この専門家は言っています。わたしも、確かに最初は年間の線量(/year)を言っていたのに変だなとは思ってました。

未来を予測するときに、最悲惨なものから最楽観なものまで、バラエティは充分に幅があります。そのなかの、なにに、私たちがフォーカスするのか、意識を合わせるのかによって、ある意味では未来は創られる、とも言えるかもしれません。

私自身は、このことがあったことにより、日本の仕組みや日本人が、今まで別のリアリティに生きていたものが、いやいや、本質的にはこれが大切なんだと、より本質にもどるきっかけになるだろうと思っています。おびやかされる、とは思いますが、完膚なき破壊にはならない、と感じています。


※連絡
日野市の線量表示サイトはトラフィック改善のため、ココに移りました。
また、結局「風向き」が大切なわけで、風向き、風力も時系列で更新掲載。

★読んで泣く。こういう方向性はある。

福島原発をなんとか全面炉心融解から救おうと作業しているひとはいるんだ、とは認識していた。しかし、そこの中心では放射線はきわめて高いわけで、いくら防護していても限界はある。しかし、だれかが作業しないと炉心を冷やすことはできない。それが東電の社員なのか、それ以外なのか不明だが、確実にだれかがその作業をしている。そうでないと、今頃チェルノブイリに。いまはスリーマイル近似値で踏みとどまっているのは、そのひとたちが作業してくれているから。

知り合いの岩元(貴久)さんがメールを送ってくれていて、紹介してくれたこのサイトは海外などからの日本への応援歌サイト(ツイートを集めているようです)。ぜひ、読んでください。私は、社で人目につかないように泣きました・・・(作業員のところでは強く。トイレを貸すひとのところで少し)。

みんなの気持ちのなかに、こうした「芽」がいつもあった。それが、いまのような厳しい状況になると、だれが言ったのでもなく、自然に花開く。それが美しいです。なぜいま、日本にこういう状況が来たのか、なぜ原発が被災するのか、なぜ東北なのか、なぜ電力が不足するのか、なぜ今なのか。こうした状況が、私たちを自然とどこに運んでくれるのか。

こうしたことを考えたとき、この方向性はあるな、と思った。どういうことかというと、今朝ほど神戸に住む友人が電話をくれて、大丈夫?コールなんですが、彼の家族は阪神淡路で罹災して、トラウマになるくらい怖い思いをしたひとですが、言ってました。あの地震の直後は、しばらく『もう、なにもモノなんか要らないんだ。生きてるだけでいいんだ』と。

まあ、しかししばらくして復旧しだすと、また以前のように欲は出てくるんだけどね、と言って笑ってましたが、それはそうでしょう。そうでないと困るし。でも、災害や究極のサヴァイヴァルなどを体験すると、ひとは価値観や生き方にフォーカスがあたって、それを見直す機会になる。それも、「自分の生活がおびやかされたから」です。人間って、そうじゃないと、なかなかリアルに思わない。

このブログを読んでくださっているのは、ヴォイスの会員さん中心かと思いますが、皆さん自身が、上記のツイートのようなマインドを持ったひと達であるのを、私はよく知っています。これをきっかけに、見直し、助け合って、自分ができることをが必ずあるわけで、よりよい未来、日本人としてのというよりは、ひととして、世界人としてのよりよい未来が築かれていくと信じたい。

★デマゴーグに注意。放射能とケミカル雨

昨日来、福島第一原発の情報を追っている。政府側(枝野長官)の特に最初の発表が要領を得ないものだったので、不安感を強めたひとも多かったと推測。東京電力側の情報提供姿勢や政府側の危機管理マニュアルの不備、首相のヘリ視察時の空白などもかいま見えたように思う。

こうした場合、結局「放射線の定点観測を発表しているサイト」それも、長年に渡って公開しているような信頼できるサイトを見たい。政府系や自治体や原子力施設のものは、常時公開していない。また歪曲の起こる可能性の少ないところが好ましい。下記はよいと思います。

ナチュラル研究所、というこれは民間の研究者が測定器(アルファ線、ベータ線、ガンマ線の混合測定値)を自宅(東京都日野市)に設置して長く測定、ネットで公表しています。ここを定期的にウォッチしていれば、異常値は感知できる。

それによると、現在は平均15cpm(count per minite)で、最高値は20cpm程度を維持。人間が自然界で浴びる1年間の被爆量(年間許容被爆量)は、2.4mSv(ミリ・シーベルト)。政府発表はこの数値を使用。

換算式は、100cpmが1μSv(マイクロ・シーベルト)だから、下記のようになる。

15(cpm)×0.01×24×365×0.001=1.314mSv(ミリ・シーベルト)

20cpmであるなら、同式で1.752mSvになり、2.4mSvは超えていないし、地震発生前と変化していない。

ただ福島周辺でこうした定点観測地点がないので、先程の宮城原発の観測値の発表などもあって、観測網が民間ベースで全国に張りめぐらされるといいんですが。



もうひとつ、まことしやかなチェーンメールが流れている。枝野長官も記者会見で指摘。うちのかみさんも親しい友人から電話で来ている。内容は、コスモ石油のコンビナート炎上によるケミカル雨の危機。

いま現在コスモ石油のサイトはつながりにくいが、このデマゴーグに広報部は下記を発表。

「2011年3月12日
コスモ石油株式会社
コーポレートコミュニケーション部 広報室
本日、「コスモ石油二次災害防止情報」と言うタイトルで不特定多数の方にメールが配信されております。
本文には「コスモ石油の爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降る」と言う記載がありますが、
このような事実はありません。
タンクに貯蔵されていたのは「LPガス」であり、燃焼により発生した大気が人体へ及ぼす影響は非常に少ないと考えております。
近隣住民の方々をはじめ、関係する皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしております事を
心よりお詫び申し上げます。
以上

同、ニースサイト

こうした危機のときは、だれかをスケープゴートにしようという動きになりやすい。過去にいくつも例がある。

右にも左にも極端にふれることなく、自分なりの情報収集で、バランス点を見つけ出すことが必要と思います。ネットは情報の幅が広く、意見の幅も広いので、取捨選択眼さえあれば、かなり役に立ちます。

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