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★日本の催眠とNLPの大御所、吉本武史先生が亡くなったようです。

きょう、出社するとハガキが一枚届いていた。高田馬場の「ヒューマン・グロウス・センター」が閉鎖するという知らせだった。ここは確か、吉本武史先生の主催する事務所だった。スタッフで関わりのあったひとに聞くと、吉本先生は亡くなったようだと。調べてみると、先月お亡くなりになったようです。

私も以前、高田馬場駅から歩いて、このセンターで先生とお会いしたことを思い出しました。NLPの関係でお会いして、ご相談ごとや講座の打診、ご本の執筆などをお話しした覚えがある。ずいぶんと前だったので、当時、先生はご多忙で、執筆依頼をすでに何本かかかえていらっしゃったようにうかがった。

大変おだやかな先生でらっしゃって、センター内の個人カウンセリングの部屋を見せていただきましたが、クライアント用のリクライニング・チェアーが置いてあったのを覚えています。もうその当時から、先生ご自身はなさらないようになっていて、一番弟子とおぼしき方が実際にクライアントをみていました。ご本人の深いところから湧き出てくる根付いた優しさと、無数の対面セッションで鍛えられた職人的な技量とを両方同時に感じられる先生で、そのお人柄のすばらしさから初対面ですぐに大ファンになったのを覚えています。

先生は、バンドラーとグリンダーの「リフレーミング」の翻訳をなさったことでも知られていますが、催眠とNLPというともに"輸入品"のローカライズやセラピー技法に「無意識」を統合的に採り入れることに尽力されたことでも知られています。2004年の「無意識を活かす現代心理療法の実践と展開」が先生の最後の本になると思います。よい本です。

残念なことに、先生の講座を企画して広く皆さまに知らしめる前に、お亡くなりになってしまいました。というか、私が遅すぎたのでしょう。先生、申し訳ありませんでした。

確かそれほどのご高齢ではないと思いますが、心理、セラピー界の大きな損失と思います。

日本人のパーソナリティは、世界的にみると、いい悪いは別にして、ユニークなところがある。そこに催眠やNLPなどを輸入して持ってきたときに、それは独自な環境で応用されているわけで、ワークしやすいもの、ワークしにくいもの、概念が変わるものなどが必ず発生する。その研究はまだ始まったばかりです。

★マスクをしたひととのコミュニケーションは難しい・・・。

花粉といまの環境への懸念から、マスクをしているひとがさらに多くなったようにも感じる。しているひとは一日ずっとしていることも多く、マスクマン、マスクウーマンたちと話す機会も増えた。

しかし、これが、どーもやりにくい。これは相手の顔の表情、もっというと、口の左右の筋肉が口の左右の端をどの方向にどのように引っ張っているのかが見えないのが一番つらい。人間のコミュニケーションは、相手の反応があってナンボなんだなとつくづく思う。マスクマンと話していると。

例の有名なロボット工学の先生も、顔の表情筋をモーターで引っ張っている。そうすると、微妙に目尻のあたりにも表情が生まれる。こういう微妙な表情も私たちは、言葉以外に読んでいる。

今回の原発の件でテレビで説明するひとが何人も出てくるが、そういうときに、人間は言葉上の文字通りの受け取り方とはまったく別に、underlying communication というか、別チャンネルでもうひとつのコミュニケーション(印象)を受け取っている。それらふたつは同時に受け取られるが、受取側により強い印象を残すのは、別チャンネルで表層の下で起きている方のコミュニケーションだ。それがたとえば「このひとはウソをついているに違いない、だって〜〜」という、言葉以外の強い印象を残すコミュニケーションとして、相手に伝わっている。このことが、テレビで説明しているひとたちにはまったく分かっていない。それは印象をコントロールする方法というよりは、ひととしての立ち位置といってもいいのかもしれないが。 ある程度話していたら、それは必ず伝わってしまう。

★刑事コロンボは、ミルトン・エリクソンだった。

きょう、ある先生とミルトン・エリクソン(エリクソン催眠)の技法について話していて、刑事コロンボのあの独特の話し方がエリクソニアンそのものだ、と言われ興味深かった。

つまり、彼は被疑者のところに行って、いろいろと質問するわけですが、話の出だしの部分は、なんだか全然別の話をする。そこに置いてあるツボのことを、なんだか論理をはずした意味不明な感じで話し始める。しかもペースは非常に「スロー」でイントネーションも独特だ。相手はなんだか分からず、『こいつ、なんかおかしいんちゃうか? なんのために来たんや??』と混乱する。

また、何回も何回も同じことを聞く。いま答えたばかりのことを、「あれっ、そういえば、あれはどうでしたっけ?」などと。相手からすると『なんや、こいつアホや』と思う。

さらに「うちのかみさんがね、これこれと言っていて」という例のあの決まり文句に至る。これはメタファーとしても機能していて、相手にメッセージを伝えているので、『お、こいつ、知ってるのか』と思わせたりもする。

上記の非論理的な部分は技法的には、コンフュージョン(混乱技法と呼ばれたりする)でもあり、逆ダブル・バインドでもある。ミルトン・エリクソンが得意とした手法なわけです。ま、彼が意図的にやっていたのか、神業的に職人が自然にそうなったのかはわかりませんが。

真犯人の心にはスキも生まれる。「それは、さっきから何度も説明しましたよね。だからね・・・は・・・・で」という話のなかに、ちょろっと真実が入ってしまったりするのだ。また、混乱しているので、彼は自然に既に「催眠状態にいる」。あとはコロンボのリード次第、ということになるわけです。

知らなかった。コロンボはミルトン・エリクソンだったんだ・・・。

★NLPのクリスティーナと話す。トランス(ヒプノの)の深さと効果はあまり関係ない。

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皆さんご承知のように、NLPのなかには色濃くエリクソニアン催眠の要素が入っていますが、クリス自身はほとんど催眠については教えていません。しかし、興味深い分野ではあるので、スタッフがちょっと質問してみた。

催眠は相手がなるべく深くその状態に入っているほうが効果的か?  という質問だったんですけれど、クリスによると、ミルトン・エリクソン自身も同じように答えていたようですが、「催眠に入っているのか、入っていないのかの中間状態」通常の意識は保っているし、目もあいているけれど、半分トランスにもはいっているような状態、これが一番暗示などが入りやすい状態なのだと。

これは、確かになんとなくわかります。そうなんだろうなと。自分の意識は自分のコントロール下にあると感じられるし、リスクも感じないのでプロテクトもあまりない。しかし、半覚醒の状態ですから、言葉やイメージに自動反応しやすくなる。もちろん、セラピスト側は、良き意図でこれをおこなうので、もともと危険はないわけですが。

こうしたトランスは、最近はずいぶんとビジネス的にも研究するひとがいて、ウェブ上でも、あー、これは文字とビジュアルでたくみに、トランスに入れているな、と思われる作り方をしているものも見受けられる。まあ、私的にはあまり好きではありませんが。でもたぶん普通のひとが見ても、なにがキーになってトランスに入るのかは分からないと思う。ほーら眠くなる、みたいな露骨さはもちろんなく、洗練はされているが、それでも意図は透けて見える場合もあって、うーん、好きじゃないな。単に技術としてやってるのは。

なんのためにそれをやるのか、という「もともとの意図」が大切。相手に貢献するためにするのであれば素敵だなと思うし、そうした場合のほうが効果が出やすいと思う。

★私たちの行動を自動反応にしてしまうのは、脳の機能の一部です、と言ったからといって、自覚しなくていいわけではないのですが・・・。

先日も書いたように、私たちの行動は「自動化」されていて、意識化しない限り、当たり前かのように、タコツボ行動から出られない理由は、「脳の情報処理上の効率化」が関わっています。つまり、脳はさまざまな私たちの身体の情報器官からの情報に毎瞬さらされています。そのままだと、何千億何十兆の情報を常に処理しなければならないので、あまり動きのないもの、あるいは同じパターンを繰り返すものなどについては、情報を受け取らない(デリート)仕組みがあります。NLPではこれをdeletion(削除)と呼んでいます。また同時に、同じことを繰り返す場合などはautomated reaction(自動化)が起動するようになっている。

たとえば視覚情報はひとの情報インプットのなかで大きな割合を占めているが、視覚のなかで動かないものは情報からデリートされる。動くものだけにフォーカスして情報量を減らそうとしているわけだ。これは動画の圧縮技術などにも応用されている。古いアナログ映画をデジタル処理してデータ化するときに、たとえば俳優さんの顔のドアップなどがあったとき、額の部分は動いていないからデータを静止画に近い状態にしてデータ量を減らしていたりする。テレビでこうした映画を観ていると、「なんだよこれ、顔が歪んでんじゃねえか」と思うことありませんか?あれがそうですね。テレビで注視している場合などは、このデータ削除が不自然に見えることがあるんです。

デリーションと近いものに、自動化があります。こっちは、たとえば歩くときに、右足左足右足左足といちいち意識していると、脳の情報処理に負担がかかるので歩く動作は自動化されている。家にクルマで帰るときも、こうしたことは起きて、なんか意識しなくても必要なところで曲がり、ブレーキを踏み、気がついたら家に着いている、という感覚に近いものがあります。こうしたautomated reaction(NLP用語にこういうのがあるかどうか知りません。ありそうだけど)も脳の重要な機能のひとつです。

私たちは歩いているときや、別に大切じゃないものを観ているときなどは、この機能が役に立ちますが、自己成長には、この脳の機能が邪魔する場合がある。

私たちは自分の脳がしている「処理のクセ」をよく知っておいて、タコツボに今日もはまってしまったら、いったん、ふううぅぅ、とため息のひとつもついてから体制を建て直し、決して一回(あるいは、たくさん)自動反応をしてしまったからといって、世界が瓦解するわけでも、あなたにまた明日の朝日はあたるわけで、また自覚をして次の機会にはもうすこし意識してことにあたれるようにがんばりましょう・・・(と自分に言ってるわけですが・・・)。

★「意識的」に日常を暮らせるか、というクリスの問い。バシャールも同じことを言っている。

来日中のクリスティーナ・ホール(NLPの世界一の先生)と話す。

クリスの次の本を出すんだったら(ヨーロッパをはじめ世界で活躍するクリスは、日本で最初の本を出したので、他の国のひとびとが嫉妬しているらしく、まずは英語などで本を出すだろうが)、そのタイトルは「コンシャス・リビング」になるという。

私たちの日常生活というのは、ほぼ「自動反応」の繰り返しになっていることが多い。私はNLPとバシャールは近いと感じているが、バシャールもまったく同じことを別の言い方で言っています。まずはクリスのバージョン。

私たちの日常は、なんらかの刺激(出来事)が起きたときに、私たちの(内的世界の)反応は自動化されていて、それが感情のボタンを押す出来事であれば、自動的に地図に書かれている感情が起き出してきて感情的に反応する。そこで「ほー、このひとは、ものごとを面白い方向で考えるんだな」とは考えず、自分のビリーフ(信念/観念)の地図に則って自動反応する。感情的な反応でなくても、他にも自動化されている反応は数限りなく存在する。「意識的に暮らす」とは、クリスティーナの人間観察の根幹をなす考え方で、日常の瞬間瞬間を、自分がどういう反応を世界に返しているか(まわりのひとに返しているか)を、自分が話している言葉も含めて、自覚(意識)していると自己成長が早い、という考えだ。

一方、バシャールの言い方だと、ひとば実はソファーから立って歩きだすときでも、左足から歩き始めるのか、右足からなのか「毎瞬、毎瞬選んで」あなたは生活しているのだ(あんたは気がついてないだろーけどねー、が隠されている。NLPのプリサポジション。これを最初に聴いたときは、けっこう私はショックだった)と言ったり、新刊「未来は〜」で一番紙数をさいて語っている「なにかがうまくいかないときには、まずじぶんがどんなことを信じている(信念・観念地図)か見てみよう、と語っている。

あなたが今日一日、自分がいました行動は、「(自動)反応」なのか、「意識的選択」なのかを観察してみるとメチャ面白いと思う。連休は今日がラストですが、私も、今日一日やってみますね。

★吉本隆明さんの言語の考え方が、まさにクリスのNLPの考え方とオーバーラップしていた。

吉本隆明さんは、現在は御歳86歳くらいではないかと思いますが、よしもとばななさんのお父上です。彼のような位置づけをなんと呼ぶのか、思想家あるいは哲学者でしょうか。でも、こういうひとが人類にとって、とっても大切なんだと思う。ひとりの人間が「世界はこういうふうにとられられる」ということを提言すると、その「考え方」は波紋のように私たちの世界に拡がっていき、世界が確実に前進する。必ずしも、具体的に多くの人がその提言者の書いたもの語ったことを見聞きしなくても拡がるのだ、と私は思う。不思議なんだけど、たぶんそうなる。だから世の中に対して、その新しい考えを表現することが大切なんだ。哲学者も同じで、大変重要な役割を負っていると思う。


それで、隆明さんだが、こう言っている。芸術言語論だったかな、彼はそう読んでいるらしいが、その一部にこういう考え方があるという。

「言葉の本質は、沈黙である」

これはすごいな。確かに、その通りと思う。これはクリスティーナ・ホール博士のNLP(他のNLPの先生は、このことにそんなにフォーカスしていない)の「すべての人間は、表現したくてしょうがないのだ」(表現欲求)という考え方と似ている。ホール博士も「言語」に対して非常に気づきの高い方でいらっしゃって、彼女の「言語ワークショップ」は世界一良質なNLPワークショップです。

人間には、言葉として表現するまえに、その内側に、「おー、これは美しい」とか「うわおー・・・」とか、そういう情動があって、それが最初に「あー」とかいう言葉になって、人類史上はじめて地上に生まれたに違いない。語られない言葉、沈黙が、言葉の幹である、という考えは、とてもすぐれた洞察と思う。

★クリスさんの言語セミナー6日間を終わって。「体験から生まれる言葉」が可能性を拓いていく。

以前からこの日本初の言語セミナーだけは自分で出て体験したかったのですが、今回、5日目の午前中を除いてすべて体験させていただきました。昨日で終わって、そのあと、クリスさんとも少しお話ししました。私自身の今回の体験を述べるとともに、クリスさん、通訳の北村麻紀さん、参加者の皆さまへに深く感謝したいと思います。

私がヴォイスを始めたのは87から88年にかけてで、最初からセミナーを提供していたので、まさに20年以上セミナーをやっています。私自身も20代の後半からつまり1975年以降から80年代にかけてセミナー・フリークでした。特になにかちょっと危険な感じのするセミナーが大好きで、火渡りとかブレス・ワーク(過呼吸ワーク)などが好きだったし、ゲシュタルトなセミナーも大好きでした。いまはもうありませんが、当時はライフ・ダイナミクス(米国ライフスプリングの日本ブランド。セミナーコンテンツは良かったがMLM の側面があって急速にしぼんだ)なども受講生が増えていた。以前私たちは、Dr. ジョン・エンライト氏をアドバイザリーにお迎えしていたことがあったが、エンライト博士(すごい名前。ひかり輝かせる、悟りの英語にも近い)は、大変すばらしいお人柄で、ライフのセミナーコンテンツの一部もお作りになった。彼の名誉のために言っておくとライフのMLM とは一切関係ないんですが。

私がこれまで体験したセミナーのなかの実習で、一番すぐれていると思ってきたのは、彼のゲシュタルトのセミナーで「自分が解決したいことを、ドアノブに聞く」という実習だった。これは非常に秀逸で、ドアノブというもののなかに既にある前提を含んでいるわけだが、博士がおっしゃるには、別にドアノブじゃなくても、電話でも、蛍光灯でもなんでもいいんだ、とおっしゃっていたが。あなたが話しかけると、ドアノブがあなたに話しだす。「ドアを開けるためには、○○を使ってドアノブをまわすんだ」とかね。これは自分の頭の中でおこっている「自己対話」であるが、いったん対象を自分の外に置いているので、自己対話の組成が変わってくるのがミソであると思う。皆さんも、解決したいことを今日あとでドアノブに聞いてみてください。じっと耳を傾けとと、ドアノブ君の答えが静かにやってくるので、やみつきになります・・・。

ところで、私たちがNLP のメタ・トレーナー、Dr. クリスティーナ・ホール氏に出会えたことは天の采配としか思えないほど、感謝にたえません。クリスさん以降は、私のなかのセミナー人生の「おどろくべき実習」がまたひとつ増えました。こうしたことを体験するのは、私にとって、このうえない喜びです。

そもそもひとは、いろいろな局面で人生の大切なことを学ぶわけですが、たとえば私たちは本も出していますが、本は途中でパタンと閉じることができる。そうすると、著者はそれ以上読者に影響することはできないわけですが、セミナーは違います。セミナーの一番上質な部分は、先生がお話しなさっている部分ではなく「実習」、エクササイズの部分にあるように思う。実習というのは、ある設定があって、それに沿って参加者が自分でやってみるわけです。自分がやったことのなかから、自分でその意味を拾っていくのです。そこがセミナーの一番すばらしい部分です。つまり、何度か同じエクササイズをやっても、そのたびごとに、違ったことに気づく可能性がある。

実際にクリスの教えているイギリスだったかな、ある男性参加者は言語セミナーに6 回も参加している。通常のセミナーではあまり起こらないことです。つまり、それだけクリスの言語セミナーの実習は、「メタな(多重な)構造」になっていて、実に何重にも重なった入れ子細工構造になっているので、今回はここに気づいた、次回はここに気づいた、ということが起こるのです。

クリスの実習は、一番最初に出会うと、ちょっと奇異な感じがするかと思います。でも、エンライト博士のゲシュタルトも奇異な感じがしたし。これらはおふたりとも、すでにセミナーが芸術の域に達しているので、良質なアート、それもちょっと現代アート的な、コンセプチュアルなアートで出会ったときの観客の反応に似ています。「なんじゃ、これ? 」みたいな。でも、それを観察していくと、「おー、そうかあ」的な気づきが後から多重にやってきたりするのです。クリスはセミナー中に渡すハンドアウト(資料)にも時折そう表記していますが、「Art of  〜〜」〜〜の芸術(技術)という表現をします。
私はいままで、さまざまな分野で芸術に近いものを探してきたように思いますが、たとえば、有機のにんじんをつくっている農家のひとがいて、それが夢のようにおいしいとします。その場合はそのひとはアーチスト以外のなにものでもないでしょう。クリスもセミナー界のNLP界のアーチストといっていいでしょう。

また、クリスさんのセミナーはどれもそうだが、「ひとが学ぶ」というのは、どういう状態のときにもっとも起こりやすいか、ということを巧みに実習に採り入れていらっしゃる。たとえば、中学校などで習う「円の面積」だが、πr2で出るんですよ、と学校で教えられる。それが後になって、なんの役に立つのだろう。もちろん円の面積を出すことには役に立つが、人生のなかで円の面積を出す必要がある瞬間なんて、一回もないひとの方もいる。πr2の代わりに、「円の面積をどうやって出したらいいでしょう? 」と言って、先生が生徒の多様な答えが出るまで一カ月待って、その答えを聴いていったらどうでしょう? そこでは、まったく違うことが起こるはずです。そしてそれをした子どもたちは、社会に出て、円の面積ではない部分で、その学習(そこで学んだ枠組み、組織化の仕方)を自分なりのやり方で使うことができる。クリスさんがなさっているのは、まさにそういうことです。しかもそこに、メタなimplication 含意がたくさん含まれていて、後でそのうちのいくつかに気づけるような仕組みでなさっているので、私たちは砂漠の植物が恵みの雨を待っているときに、抜群のタイミングで雨が降ってくるのです。

その実習のやり方は、私も頭では分かっていましたが、いざ実際に体験すると、少しひるみました。「えー、ちょっと待ってよ、この実習、なんのためにやるのかわからないんじゃー、できないじゃないのー」と。これがクリス名物の、「混乱」ですが、ここで本を閉じてしまってはいけません。なぜなら、この後が一番おいしい部分だからです。

参加者の皆さんは、果敢にとてもよくやっていました。私よりぜんぜんスムーズに実習に入っていきましたし、その体験発表を聴いていると、すばらしい気づきがたくさんありました。クリスもすごいけど、参加者もすごい、というのが私の印象です。このセミナーの前に、トレーナーズ・トレーニングで鍛えられてますからね。でも、参加者のみずからが体験するという姿勢が、あの気づきを生んだことは間違いありません。

通訳の北村麻紀さんも、言葉というものを扱っているセミナーなので、日本語と英語の文化の違い、世界把握の違い、文法の違い、前提の違いなどがあるわけですが、すばらしいお仕事をしてくださいました。ありがとうございます。

言語セミナーがすべて終了したあとに、クリスにいろいろと聞きました。「いったい、どうやったら、あのような秀逸な実習がつくれるの?」と。聞くところでは、あの実習には、彼女の言語に対する探求の歴史のすべてが濃厚なスープのように、ごった煮になって、そのうち鍋の上の方に透明できわめて馥郁とした上質なスープができてくるわけですが、そのように時間とさまざまなリソース(資源)からつくられたものだ、ということがわかりました。そもそも言語セミナーは、たしか1985年頃から教えはじめたのだそうです。現在までに世界の11カ国だったと思います。70年代のリチャード・バンドラーとのセミナーの日々。彼の質問の不思議な型に対する気づき。クリスが探求して発見した結果を反映しておこなったさまざまなNLP ワークショップ。クリスのPhD の研究論文。以前やっていたエジプトのヒエログリフの研究(当時のエジプトには、「私」という言葉と概念はなかったんだそうだ!!)。人間の学習に関する長い探求。それらすべてが渾然一体となって、いまの言語セミナー、そしてその実習のもとになっていった。

クリスは、これが終わったら、1週間ご自宅で休まれたのち、すぐに英国で言語セミナーなどをするために旅立たれる。しかし、彼女の言語セミナーは毎回、その内容はアップデートする、というのがすごい。世界各国で教えていて、でもひとつとして同じセミナーは、ない。毎回、国が違えば文化的環境が違うし、そもそもその国の言語が違う。言語が違えば、認知が違い、行動が違うので、セミナー内容も変わってくる。しかも、しかも(しつこい)、来ている参加者を彼女は観察している。そのVAKOG (しゃべり方、ジェスチャー、言語パターンなど)をしっかりと観察していて、それによって、「セミナーの途中で」進行を変えていく。今回もそうだった。バックヤードにいるスタッフは、ちょっと大変なんです。見えないところにPCとプリンタを置いていて、指示かあればすぐにハンドアウト(セミナー途中で渡す資料)を書き換えてプリントできる体制にしています。私が知る限り、セミナー「途中で」、参加者を観察してから、実習内容を変えたり、資料を変えたり、進行を変える講師は、あまり多くない(でも基本的に、こうした講師は、非常にいい講師です)。

最後に講師にとって一番むずかしいこと。つまり、「自分が教えていることを生きているか?」ということですが、この点においてもクリスさんはずばぬけている。事務的な打ち合わせをしているときでも、クリスさんがご自身が教えていることを生きていらっしゃるのが、ひしひしと感じられます。おもに、彼女が立っている位置と、彼女の言葉遣いが違います。つまり、彼女は、常に「言葉に気づきがある状態」をどの瞬間を切り取っても、保っていらっしゃるのです。たぶん彼女が友達とお話しになるときでも、その「言葉の気づき」はOFF になったりはしないのだろうと思います。これはすごいことで、だいたい誰でも油断するというか、地が出るというかがあるはずなんですが、クリスさんはいつも同じです。ご一緒に食事をしているときでも、セミナールームのなかでも、この高い気づきの状態は基本的に変わりません。これは気づきがひとつの習慣、クセにまでなっていないと、そうはならないはずです。

今回は、こうした、世界的にみてもbest of bestなNLP を体験できたことは、本当にありがたいことです。私たちはよく、たとえばアメリカに行けばとか、世界に出て行けば良質な講師はいるんだろう、とたかをくくっていますが、私の20年の体験では決してそんなことはありません。世界に出て行っても、アメリカでセミナーを受けまくっても、有名講師のセミナーに出たとしても(有名であることと、良質であることの間には相関関係は、ありません)、これほど良質なセミナーと出会える機会は、そうはありません。それはもう、ほとんど、ひととひとの「出会い」なんです。その意味でも、私は、クリスティーナ・ホール博士との出会いに深く感謝申し上げたい気持ちです。クリスの今回の、日本ではじめての言語ワークショップをお受けになった方たちが、それぞれの持ち場に戻られて、そこで学んだ「言葉」のちからで、また別のひとの人生の可能性が拓かれていく、ということが、近い将来きっと起きることになるでしょう。

クリスのプロフェッショナルな講座に深く感謝したい。

★クリス言語W/S 6日目-1 相手のアウトカム(望む結果)をつくる質問の形について。

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私のラップトップの不調で、セミナー会場からはアップデートできませんでしたので、自宅から更新します。


クリスティーナ・ホール博士の言語ワークショップの本日が最終日。今日はいままで学習してきたことのすべてを「質問でアウトカム(欲しい結果)をつくる」という一点にしぼって、そのプロセスを学ぶ1日となりました。

クリスさんがクライアントと個人セッションなさるとき(たぶん今はもうなさらないと思いますが)、「あなたの問題はなんですか?」と相手に聞くことはありません。それはそのひとの持っているものを「問題」と定義することであり、かつそれを強化してしまうからです。では、どのように聞いていくのか?

〔1〕あなたは、変化を起こすために、いまここにいらっしゃるのですね?(はい)
〔2〕では、あなたがあなたの人生のなかですでに起こした変化(アウトカム:達成した望ましい結果)について教えてください。(どんなひとのなかにも、なにかを達成した〔アウトカムをつくった〕という体験があるのであり、それにアクセスしてもらう)
・・・・・・・・以下の質問プロセスは略


クリスさんのお使いになるNLP用語には、通常の定義ではあまりないものもある。たとえば「バックトラック」もそうだ。通常はいまやったこと、言ったことをもう一度繰り返すことをさすことが多いが、クリスさんの場合は、タイムライン(時間の進行軸)を、たとえば未来に行ってから今を振り返るというような「時間軸の逆行」も意味する。上記の質問との関連でいうと、クライアント(または自分)の抱えている、結果をつくりたい事項を、すでに達成してしまった未来にまで行って、その時間軸から過去である「今」を振り返って、自分がどんなリソース(自分がもっている使える資源)を使ってそれを達成したのかを見たりします。これはとてもパワフルな時間の使い方といえます(彼女の書籍にもこのへんの記述があります)。

またさらに、なんのためにそれをやりたいのか、という目的・理由を相手からたくみな質問によって引き出すことで、相手のモチベーションを引き出す、ということもしていきます。

文字で書くと、こういうことになってしまいますが、これらを時制/絵が止まっているか動いているか(動いているものでないと、私たちはたびたびつまずく)/それらを未来の時間軸のなかで、どう定着させていくか、などもすべて、質問の形で達成していきます。この部分が、なんというか、職人芸であると思われます。

イギリスでは、6回もこの言語セミナーに出たひとがいる、とクリスが言っています。つまり、毎回出るたびに、新しい発見がある。それは、よく分かります。かなりの濃度で構造化されていますので。また、参加者が自分で参加して自分でつくっていく形になっているので、何度出ても、毎回新しい発見がある。こうした形式でやっていると、そういうことがまさに起こるだろうと想像される。クリスティーナさん、日本のNLPerのために、記念碑的な6日間になりました。ありがとうございました。また、お疲れさまでした。参加者の皆さま、クリスも終わったあとに言っておりましたが、4日目くらいから急激に学習曲線は放物線をえがいて急上昇したと。皆さんも、よくがんばったと思います。この学びが今後の生活に役立たんことを。お疲れさまでした。

(※写真は、クリスのリードでエクササイズのデモをしてくれている参加者)

★クリス言語W/S 5日目-1 「埋め込まれた質問」は日本語でも、かなりワークすると思う。

クリスさんは、私たちが相手の可能性を拓いてくような質問をつくるとき、つくりやすいように、いろいろな型を用意してくださっています。実にさまざまなタイプがあるわけですが、今日はその質問の構造について、さまざまな局面から学んでいます。

今日はオフィスでどうしても参加しなければならないことがあって、お昼休みまではずしましたが、午後から参加しています。


これは本にも出ていますが、私の好きな「埋め込まれた質問」というタイプの質問の型をご紹介します。これは、質問自体が、重箱のなかに重箱が入っているような構造になっているものです。また、構文としても、元は英語からの翻訳ですが、あまりその翻訳を感じさせないように使えるもので、気に入っています。

たとえばセラピストがクライアントに聞いているような状況を想像してください。



「私はとても興味があって知りたいと思っているんですが(I'm very curious to know if〜)、あなたがいつ、いままで気づいていなかったご自身ののリソース(使える資源)や選択の数々を発見して、使い始めていくのかな、と。



興味があって知りたいとおもっているですが以降の文章は、多少複雑になっているので、もたもたした感じはありますが、その部分はもっとシンプルにやろうとすれば、そうもできます。

大切なことは、この質問に答えるためには、質問されたひとは、この質問文に含まれている「前提」(たとえば、「あなたは自分のリソースや選択を複数発見していく」とか「それらを使い始めていく」という前提)を認識して良しとしないと答えられない構造になっている、ということです。

「私はとても興味があって知りたいと思っているんですが」という部分を私が好きなのは、こういう聞き方をされると、『質問者が相手の存在にとても興味をもっている』という前提もまた巧みに含まれているからです。この部分を「私は自分自身に聞いているんですが」などと言い換えてもいい。この感じは、ミルトン・エリクソンを私に思い出させます。なにか、こういうふうに聞かれただけで、私だったらもうトランスに入ってしまうだろうとと想像されます。


セミナーは相変わらず、小さなネスト構造と大きなネスト構造(時間ワクの異なる、円環構造。分からない???→とても知りたい→おー!!!そうだったのか、の円環構造)で、実に巧みに進行しています。参加者もしっかりついていっています。

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