OOOOOOOOOOOkinawa***
- 2011年08月15日 02:07
- カテゴリ : Around the World
彼女の家で豆腐や納豆、もずくを食べながらニュースを見る、相変わらずの原発問題で心が痛む。沖縄は平和だ。もっとたくさんの家族がこの島に移住できることを祈る。
今回のメインは、6月5日の長男の7回忌。4歳11ヶ月で天使になった織男も、この世では11歳になるはずだった。水戸に住む母親と仙台に住む父親が法事に来た。母は”放射能?いっぱい浴びてるはずね、毎日”といって豪快に笑っていた。この人なら多少の毒も栄養にしてしまうのではというキャラクターだ、うちの母は。。。父の話では、仙台の震災直後はそれは大変だったらしい。灯油や食料を買うのに、極寒の季節12時間も待たなければならなかったという。。。
半年振りに再会した次男の香男は4月で6歳になり、伊是名島の幼稚園に通い、日本語も充分話し、背がかなり伸びていたことに感動。自転車を乗り回し、折り紙を上手に折り、電話もかけてよこす。子供の成長には目を見張る。紙の上ではまったく別々の籍だが、なんとか血でつながっている家族が一同に集まった。
沖縄でも特に離島の行事は濃い。今回の法事も朝から親戚一同集まりユタが来て拝みをし、その後1日かけて軽く100人以上が焼香にやってくる。前日からのお供え物などの準備も大変だ。近所の奥様方からお婆ちゃんまで、入れ替わり立ち代わりお手伝いがやってくる。グルクン(県魚)は100匹以上揚げるし、クーブイリチー(昆布の煮しめ)も大きなたらい山盛りに作る。シブイ(冬瓜)とテビチ(豚足)のお汁は直径70cmの鍋にたっぷり、アガラシ(黒糖かすてら)は直径50cmはあるだろう。その他ジーマミードーフ(落花生豆腐)、ムーチー(もち)、もずく酢、ラフテー(豚の三枚肉の煮物)、等々。。。ずっとずっと台所に立ち続けて、腰が立たなくなるほど疲れたさ〜。
梅雨も明けた沖縄の美しい海を眺め、心温まる友人との旧交を楽しみ、私と香男はまたギリシャの我が家へと向かった。次回は必ず本州を訪ねよう、ちばりよ〜ニッポン!
Earthquake and Tsunami & Bomb and War
- 2011年04月05日 23:40
- カテゴリ : Around the World
被災地が1日でも早く復興するよう祈っています。
3月11日、私はレバノンを訪れていた。ちょうどその日は、ナハルアルバリドhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%89というパレスチナ難民の破壊された町を訪れようとしていた。
もともと人口3万人あったその町は2007年に、イスラーム原理主義組織の武装集団であるファタハイスラムの拠点であるという理由で、レバノン国軍の攻撃にあった。1000人ほどの罪なき民間人が虐殺され、多くの人々が家を失い町は崩壊した。私の友達で、ギリシャ在住のパレスチナ人の多くはこの町出身なのだ。
地元の警察で町に入る許可証をもらわなければいけないのだが、日本人だという理由で受け付けてもらえず、腑に落ちない私は日本大使館に電話をかけに店に入った。するとその場にいた人々が皆、”ジャパンジャパン!”と言ってテレビを指差すのだ。
放映されていたBBCの映像は信じ難く、既に日本時間は夜中を迎えていたがすぐ国際電話をかけ始めた。
私は仙台出身である。1歳で両親の離婚のため茨城県の水戸に移ったが、父親とその家族は仙台で暮らしており、北海道出身の母方の家族は現在も水戸にいる。そしてもちろん連絡は取れなかった。
2〜3日で両親と家族が無事なのを確認したが、毎日BBCとCNNの報道で深刻な被害が明らかにされていくなかで、私はただ動揺して心が痛んだ。故郷や家族だけでなく、もともと自国をも失った悲しみを知っているパレスチナの人々は、この地にぽつんと現れた日本のかけらのような小さな私を心から慰め、温かく見守ってくれていた。
許可書をもらいナハレルバレッドに入った私は、海沿いのこの町に残る無惨なコンクリートの塊となった多くの建物を見て被災地を思い、またその中でユニセフの援助を受けながら新しく建物や道路を造っている様をこれからの日本と重ねた。
かろうじて破壊をまぬがれた建物や、プレハブの長屋で暮らすたくさんのパレスチナ人は、どの家庭も子供がたくさんいる。子供たちは言い表せない心の傷を体験してきたはずだ。生まれつき難民として暮らすなかで、更に自分の家が破壊され愛する人たちが殺傷されるのを目の当たりにし、家の中に隠れて周囲の銃声を聞いてきた。しかしここには笑いと活気があり、生活はそれこそ質素だが生きる喜びに満ち溢れている。
戦後の日本はこんな感じだったのだろうか。その光景は落ち込んでいる私の心に大きな大きな希望の光をなげかけていた。
Rodos Island
- 2011年03月04日 05:38
- カテゴリ : Around the World
とにかく香男は昨年11月に、私のビジネスパートナー真美ちゃんに連れられて無事帰国、沖縄の伊是名島で元気に暮らしている。幸いなんの後遺症もなく非常に早い回復だった。
そして未だにギリシャ周辺をうろうろしている私は、今年こそうさぎのようにぴょんぴょんとブログを書くつもり。
友人のクリスティーナは知的障害を持つ子供の学校で先生をしている。アテネの下町育ちだが、本来旅好きな彼女は離島勤務を希望し、昨年の夏はクレタ島、そして今現在はトルコに近いロドス島で働いている。
夏は息子香男とクレタ島の彼女を訪れ、そして今回は一人でロドス島を訪れた。世界遺産になっているオールドシティはシーズンオフでひっそりとしており、翻訳の仕事のたまった私にぴったりの場所と思い、キッチン付の部屋を借りて3週間ほどこもってみた。
クリスティーナの勤務する学校を訪れ、彼女の受け持つ3人の生徒に会った。6歳の女の子アテナはモワットウィルソン症候群である。写真は横顔でわかりにくいが小頭症で、少し話すことが出来るが2歳児程度であり、1日中おもちゃで一人遊びをする。
同じく6歳の男の子ニコスはオティズムー自閉症である。日本で自閉症というと、精神的ダメージによりうつ病や引きこもりになった人たちのイメージがあるが、これは医学的には完全に誤った用語であり、本来は先天性の脳機能障害である。ニコスは見た目は全く普通のかわいらしい男の子だが(写真中央)コミュニケーション能力はゼロだ。感情もない。聞こえてはいるが話さない。泣かない、怒らない、笑わない。ペンを投げて手でキャッチするという動作が好きで、1日中これを何度も繰り返す。これはオーティズムの特徴で、例えばくるっとターンするのが好きでそれだけ1日中繰り返したり、また手をぶんぶんと振ってその音を聞くのが好きでそれだけ繰り返す子もいる。
以前クレタ島を訪れた時にやはり二人の自閉症の子と会ったが、男の子アリ9歳は反応があり私の頬に恥ずかしげにキスをくれた。女の子カテリーナ6歳は重症で、食欲のコントロールが出来ないため、見たもの全てを口に入れたがるため目が離せない。人の髪の毛を突然わしづかみにして口に入れようとしたり、ビーチに行けば砂を食べようとし、気をつけないと便まで食べようとしてしまうのだ。
そして今回クリスティーナがひとしお手間をかけている男の子が6歳のエヴァンゲリスだ(写真右)。ダウン症で生まれてすぐ両親に捨てられ孤児院で育っている。人好きで私が始めてあった時もニコニコと笑いかけ、自己紹介をしたり歌を歌ってくれたりした。孤児院での日常生活はただ寝食のみのため、土日明けて月曜に登校する時は無反応に戻っているらしい。この子の場合は愛情を注げば反応がかえってくるケースだが、孤児院の他の知的障害の子供たちはほぼ植物と同じ状態だという。
それにしても、子供が障害を持っているから捨ててしまうというのは一体どういうことなのだろうか。。。考えると胸が痛い。
Meningitis
- 2010年09月06日 05:53
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翌日、救急車でやっとアテネの子供総合病院へ運ばれることになったが、その時点で香男は相当衰弱しており、血色もなく意識もはっきりしなかった。この能天気な馬鹿医者を思いっきり殴ってやりたかった。また一人子供を失ってしまうのかという恐怖で平常心を保てない私を、アテネの病院に駆けつけた友人たちが24時間体制で支えてくれた。そして幸運な事に集中治療室で危篤状態だった香男も、信頼出来る医者たちによって救われた。
病名は髄膜炎、インフルエンザ桿菌Bというウイルスに感染し、脳の軟膜に炎症が生じたのだ。なんの前触れもなく突然だった。このウイルスは髄液検査でしか検出できず、血液、尿検査ではわからない。ヨーロッパではこのHibワクチンの予防接種がほぼ義務化されている為まれな疾患となったが、日本では2008年12月より任意摂取可能となったばかりである。
ICU(集中治療室)に3日、個室に約2週間入院した息子は、徐々に体力を取り戻していった。起きていられる時間が長くなり、少しづつ食べ始め、話し声もはっきりし、支えなしで立ったり歩いたり出来るようになった。8月の半ばに我が家へ帰ってきたがしばらくは安静が必要で、毎日数回起こる頭痛のため薬が欠かせなかった。
しかしこれを書いている現在9月5日。香男はほぼ元通り、かなり元気である。日中は家で遊びアフター5は外で子供たちと走り回っている。よく食べよく寝て生意気を言う。順調な回復振りに、近所の人々や友人たちもほっと胸をなでおろしている。
Konan`s 5th Birthday
- 2010年09月06日 03:45
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ところで話は春にさかのぼる。。。4月26日、息子香男は5歳の誕生日を迎えた。長男が4歳と11ヶ月で他界してしまったので、次男の誕生会は感激ひとしおだった。引っ越したばかりの新居に総勢25名ほどの友人が集まり、ギリシャのバースディソングを歌い祝ってくれた。
スーツケース3個のみで引っ越してきた私達に、地元の友人はクックストーブ、冷蔵庫、台所用品をはじめ、シーツや鏡やぬいぐるみまで提供してくれた。ソファーやベッドなどの家具類はないにしろ、充分暮らせる状態になるまで時間はかからなかった。
私の家は1階で、寝室、居間、台所の3部屋と、木の生い茂る細長い庭にちょっとした花壇がある。2階には元歌手の大家のおばあちゃん、左向かいは賑やかな3世代家族、右向かいは6歳の一人息子ミハリスと両親が住んでいる。家はもちろん別個だが、ちょっとした大家族的な雰囲気で私は気に入っている。
このミハリスと香男の運命の出会い!と言っても大袈裟ではないだろう。一目合ったその日から大親友の二人、ギリシャ語でまくしたてるミハリスに英語で受け答えする香男、一体どうしてコミュニケーションが成り立っているのか不思議だったが、1ヶ月も経たないうちに香男がかなりのギリシャ語を話し始めた。6ヶ月経った現在、毎日公園で遊びかなりのギリシャ語力を習得した息子は、約1年も住みながら未だにほとんどギリシャ語を解さないとぼけた母親に通訳を強いられている。
それにしてもこの悪がきコンビ、木の実を近所の庭に投げつけたり、路中の車に飛び乗ったり、ドアベルを押して逃げたり(ピンポンダッシュ?懐かしい〜)、とうとうミハリスの父親の外出禁止令が出ても、互いの家の塀越に”コナーン!””ミハーリ!”と呼び合って、あんた達ロミオ&ジュリエットか。。。
Easter in Zakynthos island
- 2010年05月11日 00:10
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3月のある晩雨がしとしと降り、翌朝家や車、全てが泥だらけ!一体何が起こったの?どうやらサハラ砂漠で舞い上がった砂が雨と共に降るらしい、そうか海の向こうはアフリカだもんね。日本でいう黄砂みたいなものね。
春の到来を久し振りに体験、うきうき心が弾むって正にこの事!日本の桜が懐かしいな〜
ギリシャ人の親友ダナはピアノ教師で、彼女のパートナーもパイプオルガンやジャズピアノのプレーヤーである。
このカップルと家族同然のような仲になり、とうとう私は3月にダナの家から徒歩3分の場所に新居を構え、シーズンオフに差しかかったインドのゴア行きをキャンセル、更にアテネ生活を延長することになった。
この二人の日本食好きのおかげで、私はほぼ毎週末、多数のゲストにお寿司を作っている。
始めのうちはのり巻き、押し寿司のみだったが、(具はたらこやサーモンなど)それでは飽き足らず、にぎりを作るようになった。
日本のようにスーパーで刺身が売られていないので、魚屋で切り身を買ってスライスし寿司飯に載せる。この寿司飯のにぎり方!職人に見られたら怒られそうなド素人にぎり、でもネタの下で見えないからノープロブレムね。
ダナの両親のお招きで、イタリア側にあるザキントシュ島でイースター(復活祭)を過ごす事になった。
キリストが死んで3日目に復活した事を祝うこの祭りは、毎年3月21日春分以降の満月後の最初の日曜日と決まっており、これを挟んだ2週間ホリデーとなる。
家族親戚一同に集まってゆで卵を彩色して飾り、子羊を1日中ぐるぐる回して焼き(ややグロい)、ギリシャの伝統料理と自家製ワインに酔いしれて歌って踊る。復活の日には、キャンドル片手に大勢のクリスチャンが街中を練り歩き、教会へと向かう。
それにしてもギリシャの古くからの風習、長男は祖父と同じ名前を付けるため、いとこ中に同じ名前がたくさんいるのだ。
親戚紹介の際には、私はニコス、こちらもニコス、あちらもニコス。隣の家では私はヤニス、こちらもヤニス、あちらもヤニス。。。
このザキントシュ島では、キリストの12聖徒の一人、ディオニュシスが祀られているためこの名前の男性で溢れており、街角で”ディオニュシース!”と呼べば全員振り返るというのは嘘じゃないらしい。
Athens
- 2010年04月18日 16:25
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満月と月食で明けた今年2010年は、1月と3月にブルームーン(ひと月に満月が2回あること)を2度も迎え、なんだかスペシャルでミラクルな感じでいっぱい***
ところで話はぐぐーんとさかのぼり、時は昨年11月25日、ローマ空港で4ヶ月振りに息子の香男と再会、4歳半になった彼は縦にすらっと伸びて少年っぽくなってきた。
沖縄の離島、伊是名島から父親に連れられ本島の那覇で1泊、私のビジネスパートナー真美ちゃんに連れられ、羽田までフライトして東京で1泊、ゴア友の美奈ちゃんに連れられ、成田からロンドン経由でローマまでのロングフライト、香男よく頑張ったね〜、皆さんもお疲れ様でした!!!
1年前は私の引くスーツケースに飛び乗ってなんとかすがり付こうと懸命だった3歳児が、今はすすんで17kgのスーツケースを引いてくれる。
イタリアの友人宅に2週間滞在の間に香男の英語力も回復、コミュニケーションに不足はない。
そしてよく食べるな〜我が息子よ、私より食べるぞ。
そして12月10日、X`masに向けて賑やかなアテネに戻ってきた。沖縄では祖父母と畑仕事に専念していたらしいが、しばらくはきらきら都会暮らしだ。
画像はアテネの中心シンタグマの巨大X`masツリーと、イスラエル大使館前でガザ解放のデモに参加した時のものだ。
年明けはパレスチナの友人に香男を預けアラビックディスコを初体験、何人もの素晴らしい歌い手と生演奏に、腰をふりふりバラの花を撒き散らしながら踊りまくるアラブ人達、沖縄のカチャーシーとはまた違った熱狂振りだ。
1年の計は元旦にあるというけれど、どうやら今年の私は未知の世界アラブ圏へ突入する兆し。。。どうなることやら。。。
香男もマッチョなマインドのアラブ人にもまれて相当鍛えられている。悔し泣きしながらも、”アンタホマール、マジヌン!”(お前はロバだ、クレイジー!)などという悪いアラビア語はすぐ覚えて連発している、ブラボー香男。
Turkey-Istanbul
- 2009年11月24日 19:15
- カテゴリ : Around the World
トルコ人は人なつこい。夕方着いた私は、その夜のうちにたくさん友人が出来て朝まで飲むはめになり、次の日は二日酔いで動けなかった。そう、アラクのおかげである。このアニス香りの45度という強いお酒は私の好みであるが、いつの間にか泥酔しているので要注意!千鳥足で部屋へ帰ろうとする私の前に、朝焼けに映え美しすぎるモスクが視界いっぱいにそびえ立ち、大音量の祈りの言葉に包まれて、まるでマホメットの洗礼を受けているように感じた。
コーランの教えは偶像を否定し生き物の描写すら抑制した為、建築、工芸が主力となり、その装飾として幾何学的で幻想的な美術が発達した。モスクは外観はもちろん、内装のモザイクデザインなども素晴らしく神秘的だ。
たった5日の滞在で私はかなりいろんな体験をさせられたのだが、未消化の部分が多いので今はあえて伏せておこう、恐るべしイスタンブール☆
そしてバンコクに帰ってきた。ほっとして細胞がゆるむ。沖縄も長く住んだが、バンコクはもはや私にとってホームタウン的存在だ。早速味噌汁と納豆ご飯を食べに行く。寒さで硬くなった体にタイマッサージを施してもらう。久し振りにプールで泳ぐ。ユーロ圏で手に入れるのを我慢していた日用品を一気に仕入れる。何もかもがここにある、バンコクありがとう!!!
時差ぼけの抜けないまま様々な用事をこなし、友人と再会し、たった5日の滞在でバンコクを後にしてアテネに戻ってきた。相変わらず私のアパートメントはパレスチナ人で溢れている。そして更に5日後の11月25日には、息子香男を迎えにローマの空港へ向かう。4ヶ月振りの息子との再会で私はかなりエキサイティング!ワクワク、ドキドキ、嬉しいな***
Israel-Jerusalem
- 2009年11月24日 02:30
- カテゴリ : Around the World
パスポートにイスラエルの出入国スタンプを押されると他のアラブ諸国に入国出来なくなるので、イミグレで別紙に押すよう頼むと、いくつかの質問を受けただけであっさりスタンプを押されなかった。
テルアビブは空港も町中も洗練されていて、銃を持った兵士がそこら中歩き回っている以外はEUと変わらない。昔のボーイフレンドとちょっと遊んだ以外は友人と会うこともなく、次の日すぐエルサレムに向かい、城壁に囲まれた世界遺産のオールドシティの中の、アラビックホテルのドミにチェックインした。
エルサレムはイスラエルとパレスチナ(ヨルダン西岸地区)にまたがる都市で、アラビア語ではクドスと呼ばれる。第1次中東戦争で東西に分断され、1949年旧市街(東エルサレム)はヨルダン領、新市街(西エルサレム)はイスラエル領とされたが、1967年第3次中東戦争で旧市街もイスラエルに併合された。イスラエルはエルサレムを永遠の首都と宣言したが国連は承認していない為、実質的な首都はテルアビブとなっている。東エルサレムの中心部にある約1km四方の旧市街は、3つの宗教の聖地で宗教遺跡が集まっており、ユダヤ教徒の祈りの場である嘆きの壁、マホメット昇天の地とされイスラム教の聖地である岩のドーム、イエスキリストが十字架を背負って通った苦難の道が残る。
パレスチナ人は、パレスチナ国家建国が実現した際はエルサレムを首都にする意向で、現在も東エルサレムの返還を求めるものの、イスラエルは応じる構えはない。ユダヤ人にとってエルサレムは自分達の土地であるとの考えだからだ。
私が到着した11月6日はシャバット(ユダヤ教の安息日、金曜の日没から土曜の日没まで労働を中断し礼拝に集まる)にあたり、嘆きの壁はラビと呼ばれる聖職者が大勢集まり、祈りの歌を歌いまるで祭りのようだ。私も皆と同じように壁に頭を付けてただただ祈った。全ての苦難に平和がもたらされますように。。。
この町では多くのパレスチナ人とユダヤ人が共存している。問題は絶えないが、それでも同じ土地で寝食を共に暮らしているのだから、そこに私は少しでも明るい未来の兆しを感じたい。
ほぼ全ての聖地を周りたくさんのパレスチナ人と交流し、たった4日の私の初イスラエル訪問はエルサレムに巡礼に来たと言っても過言ではないかも。本当はトランスパーティーでビッグバラガンの予定だったんだけどね。。。
そして出国、何故かNO5のステッカーをあちこち貼られ、こいつはNO5と呼ばれながら別室まで連れていかれ、すみずみまで約2時間かけて調べられた私は、2度とイスラエルなんかくるもんかと叫びたくなった。考えられる理由は2つ。ひとつはパスポートのスタンプを拒否した事。もうひとつはバッグに付けた小さなパレスチナのキーホルダーだ。それを手に取り鼻でふんと笑いながら”これは何処で手に入れたの?”と訊くレディーに”エルサレムよ、この国のシチュエーションは知ってるけど何かこれに問題あるの?私はイスラエリーの友人もパレスチナの友人も両方いるのよ。”と強気に答えた私。無事フライトに間に合ったけど、ちょっとハラハラしちゃったな〜ふふ***
Santorini Island
- 2009年11月04日 02:44
- カテゴリ : Around the World
それにしてもなんとも不思議な私のアテネライフ、ここがギリシャだという事をつい忘れがちだ。という事で、完全オフシーズンに入ったエーゲ海の島でも行ってみよう、とやって来たのが憧れのサントリーニ島。船内で1泊し朝デッキ外に出てみると、沖縄の島とは全く異なるその外観。200~300mも切り立った険しい断崖絶壁の上に、雪が被っているかの様に白亜の建物がひしめき合っている。
中心の町フィラでチェックインした後は、バスで最北の町イアへ。ツーリストも少なく店もほとんどクローズしているが、夏はあのイタリアのサルディーニャ島のように活気で溢れているのだろう。
白壁の家々の間を縫って迷路のように続く小道は、どこを歩いてどこで立ち止まっても、美しい絵の中にさまよい込んだ様である。
しかし翌日の寒波にF...cold!!!を連発する私、そして悪天候の為船が全便欠航、ああ、懐かしい。。。沖縄の伊是名島に住んでいた時もよくあったなぁこんな事。。。台風でひどい時なんか10日も欠航。。。な〜んて呑気に思い出している場合じゃない、私は3日後にやっとやっとイスラエル入りするのだ。当初1ヶ月の予定がたったの4日!その後トルコのイスタンブールにたったの5日!タイのバンコクに帰って1週間後には息子香男をピックアップしに再びローマへ。。。ああ、他人事のように遠くから聞こえてくる私のスケジュール。。。
とりあえずギリシャの海の神様ポセイドン、お願いだから船を出して***

